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気高さと美しさを合わせ持っていたウラカワミユキ(2) 長寿の裏にフォスター制度の活用

  • 2017年08月30日(水) 18時00分
第二のストーリー

▲タンポポのティアラを被るウラカワミユキ 写真提供:(有)渡辺牧場


ウラカワミユキの仔を救ったフォスター制度


 ウラカワミユキは競走馬としての素質も高かったが、繁殖としても優秀だった。前回も書いたが、あのナイスネイチャを含めて12頭の産駒をこの世に送り出している。

 その中にグラールストーンという馬がいた。ナイスネイチャの1つ年下の弟で、父がノーリュートという血統で、兄と同じく栗東の松永善晴厩舎から1991年11月にデビューした。兄のように重賞勝ちはなかったものの、中央時代はオープンクラスまで出世。4歳時(当時表記)にはキョウエイボーガンの勝った神戸新聞杯(GII)で3着、ミホノブルボン、ライスシャワーのワンツーで決まった京都新聞杯(GII)で5着と掲示板に載り、菊花賞(GI・10着)にも駒を進めている。

 また古馬になってからも北九州記念(GIII・5着/11着)やウインターS(GIII・9着)にも出走。中央通算44戦5勝の成績を残して1996年に岩手競馬へと移籍した。

 渡辺牧場の渡辺はるみさんが、所用で岩手に赴いた際にグラールストーンのいる厩舎に寄り、引退したら引き取りたい旨を調教師に伝えてあった。その約束は果たされ、岩手競馬で10戦2勝、通算54戦7勝の成績で競走馬生活にピリオドを打ち、グラールストーンは渡辺牧場へと戻ってきた。

 当時渡辺牧場には、グラールストーンのほか、ナイスネイチャやセントミサイルの弟のターフィー(競走馬名ミナミノターフィー)も繋養していた。ナイスネイチャは種牡馬だったし、ターフィーはアテ馬の仕事を上手にこなしている。問題はグラールストーンだった。

 どこかグラールが活躍する場はないものか。今後についてはるみさんは思案していた。その最中、里親を募って引退した競走馬の余生の面倒をみる「馬のフォスター制度」を作る動きがあることを知人を介してはるみさんは知った。その第1号としてグラールストーンを候補にしてもらったらどうかと知人に勧められたはるみさんは、その制度を作ろうとしている乗馬倶楽部イグレットの代表、沼田恭子さんと連絡を取った。

 沼田代表はかつて取材でこう答えている。「行き場のない馬を生かそうとしている人がいるというところに惹かれました。渡辺さんは、種牡馬を引退したナイスダンサー(ナイスネイチャの父)のために募金活動などをされていて、いろいろなことを教えてもらいました」

 これがタイミングだったのだろう。スムーズに話が進み、グラールストーンはイグレット軽種馬フォスターペアレントの会(現・NPO法人引退馬協会)のフォスターホース第1号となった。1997年のことだった。

「競走馬として活躍したにもかかわらず、とても大人しく穏やかで、乗馬として調教をする前から何をしても怒らない馬だったのです。会を設立すると様々な人が来ますが、その方たちに対してもグラールストーンは、本当に良い広報部長でしたね」と、沼田代表はグラールストーンを評す。広報部長としての役目を立派に果たしたグラールストーンは、2011年2月5日に22歳でこの世を去っている。

ウラカワミユキ自身もフォスターホースに


第二のストーリー

▲落としたティアラを食べ出すウラカワミユキ 写真提供:(有)渡辺牧場


第二のストーリー

▲まさかの完食! 写真提供:(有)渡辺牧場


 会の活動は徐々に広がりを見せ、フォスターホースの数も増えていった。そんな折、渡辺牧場は立て続けに不運に見舞われ、生産としての仕事を続けられるかどうかという危機が訪れた。今から16年前の2001年のことだ。牧場で繋養されていた功労馬ナイスネイチャやセントミサイルも、手放さなければならない。それほど逼迫した状況だった。そんな時に助けの手を差し伸べたのも「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会」だった。

「万一のときは、せめてナイスネイチャとセントミサイルは天寿を全うすることができるように、会に託したい」という意向を、はるみさんは沼田代表に以前から伝えていたが、重賞勝ち馬のその2頭だけではなく、ウラカワミユキもフォスターホースとして迎え入れる決定がなされた。こうして、ウラカワミユキは引退馬協会の所有馬として、渡辺牧場に預託されるという形になった。この年の5月7日には最後の子となるゲッケイジュ(牝・父エンドスウィープ)を出産したミユキは、20歳になっていた。

 現在、渡辺牧場は生産を止め、養老牧場として姿を変え、馬たちの安住の地として存在している。フォスターホースとなった3頭を、会側がそのまま渡辺牧場に預託したということが、のちのち養老牧場に変わっていく足がかりにもなり、渡辺牧場の方向性をも決める大きな出来事にもなった。

 フォスターホースとして引き続き渡辺牧場で暮らしてきたウラカワミユキには、繁殖を引退して新しいオーナーに引き取られたコーセイという相棒もでき、2頭は常に一緒の放牧地で穏やかに日々を過ごしていた。ただ生きていれば、大なり小なりハプニングは起こる。

 相棒のコーセイはさく癖(通称グイッポ)があるため、疝痛になりやすい傾向にあったが、ある日、放牧地で腹痛を起こして寝ているのが発見された。前回もコーセイが放牧地を離れるとミユキが大騒ぎすると記したが、そのためこの時もコーセイと一緒にミユキを厩舎に連れて戻っている。カレンダーやポートレート用にミユキの写真を撮影する際も、コーセイは静かに見守っていた。

 取材時にはるみさんに伺った話や、渡辺牧場のブログ、引退馬協会の渡辺牧場だよりに書かれてあるミユキとコーセイのエピソードすべてが、微笑ましくて優しい気持ちになる。それほど2頭の交流は、心温まるものばかりだった。

 1987年のダービー馬メリーナイスが最晩年を過ごしていたのも渡辺牧場だった。1989年、静内町(現・新ひだか町)のレックススタッドで種牡馬となったメリーナイスは、2頭の重賞勝ち馬以外に目立った産駒を輩出できないまま、1999年に種牡馬を引退。長野県の牧場で余生を送っていたが、2007年11月に渡辺牧場へと移動していた。メリーナイスの歯はかなり悪く、食べ物を噛んでは吐き出す状態だった。

 渡辺牧場に預託されているフォスターホースたちは、歯をやすりで擦ってケアをした経験があったため、当時のミユキは人参を噛むことができた。口に入れるものが肉体を作る。それを噛み砕く歯は当然重要になってくる。メリーナイスは2009年3月1日に疝痛のために、残念ながら22歳で亡くなっている。メリーナイスの悪かった歯が病を引き起こしたのかは定かではないが、高齢馬を飼養する上で、歯がいかに大切かを再認識するきっかけにもなったようだ。

 ミユキが楽しみにしていたのは、引退馬協会の会員さんや見学者から人参を食べさせてもらうことだった。飼い葉に対してはさほど食欲を見せないのに、青草や人参にはご執心だった。

 訪れた人が人参を持っていないとわかると、ミユキはコーセイとともに放牧地の奥へと去って行ってしまう。だが人参を持参すると「もっとちょうだい」とばかりに人にズンズン迫る勢いでおねだりをしては、美味しそうな音を立てて人参を頬張る。

 ミユキを捕まえる時にも人参は必需品だ。持っていないと簡単には捕まらない。だが人参を見せると、簡単に捕まる。それもまた「単純で可愛い」とはるみさんは言う。人参で釣ることができるのも、歯がまだしっかりしていたからにほかならない。

 放牧地ではコーセイと一緒にいないと寂しがるミユキだが、気の強さは年齢を重ねても健在だった。新しく仲間入りした馬が隣の放牧地にいると、柵越しに顔を突き合わせるようにして「ブフェーン」と大きな声で鳴く。こうして自分がこの牧場のボスだということを、新入りにわからせているのかもしれない。ミユキの動画や写真を眺めていると、澄んだ瞳の奥に気の強さが宿っているのがわかる。

 私は帽子をかぶると、つばの位置がどうしても右方向にズレてしまうのだが、ミユキもまた馬服を着用すると、左側に馬服がズレて右側が露出することが多々あった。それを見つけるたびに、はるみさんはミユキの馬服を直す。犬の散歩の途中でそれを見つけた時も直す。その時のミユキについて「すっかり人も犬も信用してくれて、じっと大人しく立ち止まってくれています」と2009年12月の渡辺牧場だよりにはるみさんは綴っている。

 人参が大好物で、他の馬に自分がボスだと貫禄を示し、いつも馬服がズレているミユキ。1つ1つは小さなことかもしれない。だがその1つ1つがミユキを現わしている。

 はるみさんの愛情こまやかな観察眼により綴られたブログや渡辺牧場だよりの文章からは、人参に気づいた時の目の色の変わり方、新入りに威張って嘶いた時のふくらんだ鼻の穴、馬服を大人しく直してもらっている時の神妙な顔付きなど、実際に目にした光景かのようにミユキの一挙手一投足が想像できる。そしてすべての馬たちにこのような余生があれば、どんなに素晴らしいことか。つくづくそう思った。

(つづく)



※ナイスネイチャは見学可です。
有限会社渡辺牧場
浦河郡浦河町絵笛497-5
・年間見学可能(団体の見学は不可)
・見学時間 9:30〜11:30、13:30〜16:00
・直接訪問可能
※詳細は最寄りのふるさと案内所まで
http://uma-furusato.com/

渡辺牧場HP
http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/
※1993年のクリスタルC優勝のセントミサイル(セン27)1993年のクイーンC含め重賞3勝のマザートウショウ(牝27)も見学できます。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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